総社市秦
秦廃寺跡





古代、日本に伝来された仏教は、聖徳太子の出現によりその興隆期を迎えたのち
大化の改新を経て、聖武天皇時代に奈良仏教として最盛期を迎えたのです。


この秦廃寺は、現在不動の心礎及び礎石は各一つをとどめるのみにになっています。
出土した瓦から、飛鳥時代に創建された岡山県最古の寺院跡のようです。


当時の寺域、配置等については明らかではありませんが、寺域は、東西一町、南北一町
または一町半と想定されます。配置については、寺域の南限、かつては柱根一を出土した
付近に南門、その北東の塔心礎の位置する所に塔、その西側には金堂、それらの北側に
講堂跡が存在したものと考えられます。


ここから出土する軒瓦は、二種類が確認されており、その一種類が、岡山県内で最古の
飛鳥様式の八葉単弁の蓮華丈の瓦で、もう一種類は、吉備式と呼ばれるものです。







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