毛利氏の備中防衛拠点

総社市山田
古町遺跡



向こうに見える山が鬼身山城跡

総社市教育委員会が発掘調査していた古町遺跡から武家屋敷跡が出土しました!!

総社市教育委員会が発掘調査している同山田、古町遺跡で11.7日までに、極めて丁寧な構造の暗渠排水などを持つ武家屋敷跡が出土した。戦国末期(十六世紀末)、毛利氏が鬼身城(同所、市指定史跡)城下に本格的な町を築いた証拠とみられ、同氏にとって、北の松山城(高梁市)と並ぶ備中防衛の拠点だったことを裏付ける遺跡として注目されている。
 11月8日 山陽新聞朝刊から
● 毛利氏と鬼身城
 ・鬼身城は、備中の殆どを制圧していた三村氏の家臣、上田実親が居城していました。
 天正三(1575)年、三村氏の織田氏への寝返りにより、毛利氏に攻められ滅びました。その後、毛利氏が一番の家臣・宍戸安芸守隆家に付近八万石と共に城を与えました。
鬼身城は毛利氏の備中防衛拠点としました。関ヶ原の合戦後、放棄する。

● 宍戸氏
 ・NHK大河ドラマ「毛利元就」で、元就の長女が嫁いで行った先が宍戸家でした。その宍戸氏の策略により備後地方を毛利氏に従えることができました。

● 備中の毛利氏家臣
 ・三村氏の滅亡によって備前・備中の二ヶ国は、完全に毛利氏の幕下に入った。備中を平定した毛利氏は、今後に備えて新たに武将の配置を行った。 主なるものを書き並べてみると下記のようになります。

松山城 城代天野五郎右衛門、桂民部大輔
鬼身城 宍戸隆家
国吉城 吉川元春、城番今田山城守
幸山城 小早川隆景、城番国司壱岐守、加番中島大炊助
鶴首城 三村越前守親成
高松城 清水長左衛門宗治
経山城 中島大炊助元行
冠山城 禰屋七郎兵衛定勝
日畑城 日畑六郎兵衛景親
伊与部山城 明石兵部少助
神戸山城 小田民部少輔高清
馬鞍山城 小田孫兵衛
笠岡山城 村上掃部頭武吉
猿掛山城 毛利元清



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