備中松山藩主の石川総慶が、延享元年(1744年)に亀山(三重県亀山市)へ移ったとき、
北房・有漢の内10ヶ村は、亀山藩の飛び領地となった。
亀山藩は、幕末のころ特にタバコの栽培を奨励し「なかつい刻」として関西から四国にかけて販路を広げて
藩の財政を潤し中津井の町も大いに栄えた。
陣屋跡は、代官所が置かれたところで、明治4年(1871年)の廃藩置県まで、実に127年間続いた。
現在ここには領界を示す石柱が残っている。
石柱は備中松山と美作国を結ぶ街道の多和山峠にあったものを後に移した。
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