備中湛井十二ヶ郷用水






 大昔湛井(たたい)には現在の井堰より約五百メートル下流の六本柳(通称六本)に井堰があったが、高梁川の流れの変化によって、用水の取り入れが不適当となったので、平安前期に現在の場所に井堰が築造された。勿論両井堰とも小規模で簡単なものであったと思われる。
 今から八百十五年前、平安末期の寿永元年(1182)に、妹尾太郎兼康が自分の領地(妹尾郷)へ用水をひくために、湛井井堰と幹線水路の整備をしたという伝承がある。
 幹線用水路は、湛井から岡山の大福まで約十七qの間に、数十という胴木・樋(堰)によって分水され、流域面積は約五千ヘクタールを潤している。
 湛井十二カ郷用水という呼び名は、明治三十年に「湛井十二カ郷用水組合」が出来てからのもので、それ以前は「湛井川用水」或いは「湛井用水」などと呼ばれていた。
 井堰は、松丸太で作った底枠を川底に沈め川石を詰め、更に上枠を置いて川石を詰めていくという方法で、川を堰き止めていたのである。このようにして築造された井堰も、用水が芙蓉となる秋彼岸後になると、船の通行や、上流から流されてくる濁水、土砂を流すため、井堰の一部(約五〜六十m)を撤去していた。従って毎年築造されるのは、この撤去の部分と、洪水などによって壊された部分だけであった。 堰止め工事が終わると、水深が深くなり、流れも穏やかになるので、大正九年頃から貸しボートの経営も行われるようになった。
 大正十三年頃になると、プロペラ船と呼ばれる乗り物が、湛井と高梁の間を一日二往復ぐらい走るようになり、速くて便利だということでかなりの利用者があったようである。




湛井十二ヶ郷用水の恩人 妹尾兼康
(せのお かねやす)

 妹尾太郎兼康は、備中国板倉郷(現岡山市高松)の豪族の出で、妹尾荘(現岡山市妹尾)を開発して「妹尾」を名乗り領主となる。領内の経営に努め、特に井堰から取水してわが領地(板倉)まで送水する十二ヶ郷用水を創り出した。十二ヶ郷とは、刑部、真壁、三輪、八田部、三須、服部、庄内、加茂、庭瀬、撫川、庄、妹尾の各郷を指している。これらの地区の住民は兼康神社の「水氏子」として毎年六月十五日に行われている「初堰祭」に参拝してきた。国費での井堰は備中国内では湛井の大井堰を除いては、他には考えられない。十二ヶ郷用水の恩人として、流域住民から井堰の 守護神と崇められた。湛井堰を一望に見下ろす山腹に鎮座する井神社に兼康を祭神とする兼康神社が合祀されている。



井神社と兼康神社

井神社創立の年代は明らかではないが、今から815年程昔、寿永元年(1182)平家の家人妹尾郷の妹尾兼康が、水不足に苦しむ領民の為に高梁川の水を引き入れ、水路を開削する工事の完成を祈願した神社と云われ、既に当時の井堰の近くに井神社はあったと思われる。
 祈願通りに立派な井堰が築造出来、樋門を造り延長約18qの用水路を完成した。そのお礼に樋門の近くに新しい宮地を定め、社殿を造営して遷宮を行ったと、当時の神主前田神九郎が書き残している。御祭神が水神様と水口や堰を守護される水分神であることから、当然古くから井堰の近くに祀られてあったものと考えられる。
 この湛井堰の完成と井神社のその後の祭典、維持管理に到る迄細かに掟を書き、神主の前田神九郎に残している。以来その掟に従って用水、井堰の守護を祈願して用水に水を取り入れる前の六月一日に初堰祭を行い五〇〇〇ヘクタールの五穀豊穣を願っている。
 元禄元年(1688)社殿を建て替える時、現在の社地を造営御遷宮を行い境内属社として兼康の徳を讃え兼康神社を創建した。造営費については各領主(蒔田御二ヶ領、備前領、松山領、御領、高松津寺御二ヶ領、撫川領、蒔田御領分平野村延友村、妹尾領、足守領、庭瀬領)より銀一貫二百文が奉納されている。
 昔から井神社は湛井だけの氏神様を越えた、十二ヶ郷の氏神様でその氏子は俗に「水氏子」と呼ばれ、用水の水掛かり全域に及ぶ。



湛井堰公園




 高梁川堤防の湛井より発する十二ヶ郷用水の真上に昭和五十七年に井堰築造八百年を記念して記念碑が建立された。これを中心に井堰公園が造成されている。記念碑は長野岡山県知事の賛 により十二ヶ郷用水組合の管理者である本行総社市長の碑文が刻まれている。


碑文
 

 この地にある十二ヶ郷用水取り入れ口は湛井堰によれば往古はここより約五百米下流の六本柳にあったが高梁川の流路の西方移動のため一一八二年(寿永元年)備中妹尾の豪族妹尾太郎兼康この湛井の地に井堰を構築したとされている。この用水係は一二ヶ郷六九村(現在三市二村)約五〇〇〇ヘクタールに及び豊富な水量に恵まれて未だ干ばつを知らず。その恩恵に感謝の意を表しここに開堰八〇〇年を記念して碑を建立す。
  昭和五七年(一九八二年)
     湛井十二ヶ郷組合
             管理者  総社市長 本行節夫



参考文書 浅尾・井尻野歴史散策 湛井の変遷 佐々田孝二氏
井神社と兼康神社 角田 律氏



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