吹屋銅山 笹畝(ささうね)坑道




吹屋銅山は、大同2年(807年)に発見されたと伝えられています。
歴史は古く、戦国時代に尼子氏と毛利氏の争奪戦以来、江戸時代の大部分の間は、天領幕府直轄地であり、代官が支配していました。
 写真は、坑道入り口で中へ入ると、ひんやりとした空気が漂い、奥へと坑道は伸びています。






坑道は狭く、人がすれ違う事が出来ないほどで、高さも低いためほとんど屈んでの通行となります。
 江戸時代の採掘は手堀りで、鉱区も小範囲であった。明治以後三菱金属(株)の経営となり、付近の小山を吸収合併し、日本三大鉱山の一つとなった。
 江戸時代にはここで採れる鉱物は成羽町下原まではこばれ、高瀬舟で高梁川を玉島まで下り、海路を利用して大阪の銅役所へ運ばれていた。




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