吹屋ふるさと村



吹屋の町並みの由来

標高五五〇bの山嶺に塗込造りベンガラ格子の堂々たる町屋が建ち並んでいるのは江戸時代から明治にかけて、中国地方第一の鉱山町に加えて江戸末期からベンガラという特産品の生産がかさなり、当時の工鉱業地として大いに繁昌した面影であります。幕末から明治にかけて吹屋はむしろ「弁柄の町」として全国に知られていた。しかも吹屋街道が拠点として、銅や中国山地で生産される砂鉄、薪炭、雑穀を集散する問屋も多く、備中北部から荷馬の行列が吹屋に続き旅籠や飲食店の立ち並ぶ山間の市場として吹屋の繁昌を保っていた。これらの銅や鉄、弁柄は吹屋から更に荷馬に負わされて成羽へ運ばれ、それから高瀬舟で玉島港に集められ、玉島港から上方や西国へ輸送されたのであります。江戸時代から成羽や玉島の繁昌は吹屋の鉱工業に負うところが大きかったと言われています。

〈吹屋ふるさと村メイン通り〉

〈西の通り〉







赤木家

同家の先住は屋号を伊予屋と称し旅館業を営んでいた。
現在の赤木家も昭和四十年頃まで松栄館の商号で旅館と料理屋を営んでいた。




胡屋(えびすや)

片山の総本家で、元祖弁柄釜元の一軒であります。一七〇〇年代後半の建築で平入形式、背後には宏大な弁柄倉庫や米倉等があります。







ふるさと村の東・下谷地区

かぐら街道を東から入って来ると、とつぜん映画村にでも来たような町並みになります。
物静けさが漂う地区で、観光化されておらず、私のお気になりました。



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